嵐のあとの静けさ…
2026/06/04 06:11:40
ごきげんよう、殿方様。

台風の影響、如何でしたでしょうか…
何事もないと良いですが…
あざみの住まいの地域は、もう風も止み、静かに早朝を迎えようとしております。
思えば今週の日本は、“嵐の解散”(5月31日日曜日)から始まって、本当の嵐が来る…なんか、すっかり、【嵐Week】となってしまいましたね…
週の後半は、台風一過で、晴れ渡って欲しいものですが、本日に関してはまだそんなスッキリとはいかない様子です。
スッキリとした…景気のいい話、どっかに転がっていないものか…と、今さっき届いたばかりの朝刊を広げてはみましたが…
余りいい話は転がってないですね(笑)。
昨日は、我が家の近所の川が氾濫警報が出ておりましたので、非常時に我が子たち(愛犬、愛猫)だけを自宅に残し、鶯谷へ赴く事も出来ず、お休みを頂戴致しました。
ご迷惑をお掛けしましたこと、申し訳ありませんでした。
世を忍ぶ仮の姿で在る時の仕事も完全自宅待機指示となり、クライアント等も自宅待機の方が多かった様子で、開き直ってほぼ限りなく休日に近い一日を愉しみ、友人や、お店のれいお姉様と電話で、互いの居住地域の状況を確認し合う…テイで、全然関係ない話を長電話でペラペラお喋りしたり…(笑)、
緊急時、非常時こそ、離れていても心寄せ合う人間同士の関係性の大切さを実感する一日にもなりました。
自然災害に関しては、どう抗ったとして、まだ人間は自然には敵わない。
なるようにしかならない…と、腹をくくった上で、安全の確保に最善を尽くすしかないですが、そういう時でも、やはり、守るべき人、守るべきモノが在る…って、強く在れる要素でもあり、無防備な選択は取らなくなる、要でもあると、私は感じました。
関東大震災にしても、大正12年からとうに100年は過ぎ、いつ直下型地震が来てもおかしくはない。
2011年の東日本大震災はまだ記憶に新しい…とはいえ、大都市直下型地震ともなると、東日本の例は、語弊は伴いますが、モデルケースにもならない…
大正時代とは、同じ関東…兎角、東京に関しては、都市の環境もだいぶ異なる…
昨日然り、避難警報、避難命令…と、自治体は指示は出しますが、結局のところ、自分の安全の確保は自身に問われます。
地震、雷、火事、親父…そう考えると、地震と雷と火事…と、何故“親父”が並列に並ぶのか…と、「親父の“怖さ”なんてたかが知れてるわ!!(笑)」と、思わず鼻で笑ってしまうレベルです。
否、令和の時代にも天然記念物の如くの[厳格な親父様]が生息している地域(家庭)はあるのかもしれませんが…。
因みに、我が家に関しては、曾祖父の代から両親共に江戸っ子ではありますが、私の知っている限り、祖父の代には既に、我が家の家父長制は完全撤廃となった、極めてリベラル(進歩的)な家庭だった為、物心つく頃には、
[地震、雷、火事、親父]…の、理屈は理解しても、実際のところは、ピンとくるものが何もなく、小首を傾げておりました、私です(笑)。
祖父も祖母も仕事を持ち、父も母も共に仕事を持ち、家庭内に於いて、所謂、性別役割分担や、ワンオペ…等の、“女性が家の中の総てをこなさねばならない”的な家父長制のしきたりが皆無の家庭で育ったので、家の中の仕事は、その時、その瞬間、できる人がすればいい…男性の家事、育児の参加…当たり前です!!…と、思って、今現在に至ります。
でも、そう生きていると、意外と…それを善しとする男性にしか出逢わないもんだなぁ…とも感じます(笑)。
だから…というわけではないですが、性別役割分担の意識、ステレオタイプって、男性から女性への抑圧ばかりではなく、(実際ここばかりにスポットが当たりますが。)女性の“女らしさ”の古典的固定観念、つまりはステレオタイプも、多分にある。
だって、女性らしく…家庭内では男性に三つ指付いて、三歩下がって歩いて、「家内」と呼ばれて、一切の違和感を抱かない女性も令和の世にも勿論存在する。
フェミニズムの敵は、男性ばかりか…?
結論から言わせて頂くと、絶対、違う。
世の中の、自ら「フェミニストである。」と名乗る人(主に女性)たちの“敵”は、凡そ男性である。…という認識がされていると感じますが、実のところ、“敵”の半分は女性であるといっても過言ではない…と、私はそう思います。
アメリカでは、1970年代にはウーマン・リブ。
日本に於ける男女雇用均等法の制定にしても、1985年。…そこから早40年以上。
でも、古典的固定観念を“変えなくない”、“変わりたくない”と願う、[女性]が居るから、今に至っている。
要は、男女参画社会に於ける女性の敵は、男性ばかりとも限らない。
[女の敵は女]…それはいつの世も変わらない。
あ、私は別に、ゴリゴリのフェミニストではありません。
だって、実際、性を売る商売もしてますから(笑)。
でも、私が敢えて、“可愛い”を売りにしないのは、サービス業だからといって、媚び諂うは、私の認識とは異なるから。
ベッドの上では、思いっきり、女を謳歌し、女としての快楽を愉しみますが、結局、“可愛い”を売りにしたところで、私より“可愛い”女性なんて、世の中ゴマンといらっしゃいますから(笑)。
その土俵で戦う気などはサラサラありません。
あと、私に“可愛い”を売りにするニーズがそもそもありません(笑)。
逆に、女性だけど、凛々しく在りたい…とは常に思います。
…だって、S嬢だし(笑)。
でも、世を忍ぶ仮の姿である日常生活、「◯◯さんは、フェミニストですか?」…まぁよく聞かれる事も、しばしば。
私、はっきり言って、フェミニストじゃないです。
だって、社会的性差に於いての差別や偏見、抑圧なんて経験したことがない。
フェミニズムでも、ブラックライブズマターでも、それは同じですが、差別や抑圧を“経験”した人が声を上げるから、説得力を持つ。
女性蔑視の経験がない女性が、「フェミニストである」と声を上げたところで、説得力は持たないし、ブラックでない人種で差別を経験していない人間がブラックライブズマターを声高に叫んだところで説得力はない。
feminism(フェミニズム)って聞くと、世の殿方様の凡そは、煙たく感じますよね?
そのイメージは、“生意気”、“鼻につく”…だと思いますが、それは何故か?
要するに、「フェミニズム」と、声高に叫んでいる女性が、大学の研究者やエリート女性…実際、個人的にはまったく持って“フェミニズム”を必要としない女性こそが声高に叫んでいる主張だからです。
少なくとも、万国共通でまだ「フェミニズム」って、“エリート女性の主張”で、実際にそれを本当に必要とする弱者と呼ばれる女性が声高に叫んでいる主張ではないから、説得力がない。
兎角、目立つところ特に、
「お前ら、全員、男性以上に社会的地位あんだろ…」的な、女性ばかりが唱える主張だから(笑)。
あと、日本に於いては、“feminism”を“女性主観論”と訳されてしまっている、訳が悪すぎた(苦笑)。
でも、feminismの主張って、全然悪い事ではなく、真っ当ですよ。
男女平等…何か弊害ありますか?
社会的評価とは、社会的性差に関係なく、実力で評価されて然るべき、は、当然。
故に、その主張に間違いはない。
至極、真っ当。
だけど、煙たがれるばかりで伝わらない理由は、そこにあります。
あと、凡そ20年くらい前から、feminismが女性誌(ファッション誌)で取り上げられるようになってから、女子大生たちの間で、「フェミ言っとけば、なんとなくカッコいい…」的な、ファッションになってしまった。
これ即ち、‘ファッション’と‘パッション’履き違えた、大いなる勘違いですが、世の中に浸透していない以上は、ライトに纏う主義、主張ではない、のも確かです。
と、まぁそんなこんなで。
以前、「鶯谷で仕事している女性が‘フェミ’語る…ってめちゃくちゃ面白いよ!!」…と、日記を定期購読してくださっているお客様の“貴方”に言われていたので、いつか書きますね(笑)というお約束、今日、触りではありますが叶えさせて頂きました。
急ぎで書きましたので、誤字脱字ありましたら、ご勘弁を。
本日は、久方ぶりの鶯谷の空の下。
昼下がりから、“貴方”をお待ち申し上げております。
日常とは乖離した時間、また、日常とも通ずるようなお話…愉しみましょうね。
あざみ
